第16講 日本で増加してきた「同意なき買収」 米国型M&Aに近づく日本市場をどう読むか
日本で増加してきた「同意なき買収」
米国型M&Aに近づく日本市場をどう読むか
かつて日本のM&Aは、友好的な交渉を前提とするものが中心でした。 しかし近年、上場企業をめぐる買収実務では、対象会社の経営陣の同意を得ないまま進む「同意なき買収」や、対抗TOBが現実の選択肢となっています。
この変化は、大企業だけの話ではありません。 中小企業であっても、株主構成や資本政策を誤れば、経営者の意思だけでは会社を守れない時代に入りつつあります。
目次
「同意なき買収」は、かつて日本では例外的なものと考えられてきました。 しかし、企業価値向上、資本効率、株主共同の利益が強く問われるようになった現在、経営陣が反対しているという理由だけで、買収提案が直ちに否定される時代ではなくなっています。
経営者は、M&Aを「自分が選ぶもの」とだけ考えるのではなく、「自社が選ばれる、あるいは狙われるもの」として捉える必要があります。
1. 友好的M&Aが主流だった日本のM&Aが、大きく変わりつつある
日本のM&Aは、長く、対象会社の経営陣と買い手が事前に協議し、合意のうえで進める友好的M&Aが中心でした。 特に、中小企業を売り手とする事業承継型M&Aでは、現在でも友好的な交渉が基本です。
しかし、上場企業を対象とするM&Aでは、この常識が大きく変わりつつあります。 対象会社の経営陣が同意していない段階でも、買い手がTOBを公表し、株主に直接判断を求める事例が増えています。
つまり、日本のM&A市場は、旧来の「話し合いが整わなければ買収は進まない」という世界から、株主の判断、資本市場の評価、企業価値向上の論理がより強く働く世界へ移行しつつあります。
2. 「同意なき買収」とは何か?
「同意なき買収」とは、対象会社の経営陣や取締役会の賛同を得ないまま、買い手が対象会社の株主に直接働きかけ、株式を取得して経営支配権の獲得を目指す買収をいいます。
以前は「敵対的買収」という言葉が多く使われていました。 しかし、近時の実務では、経営陣にとって敵対的であっても、株主や企業価値の観点では合理性がある場合があり得るため、「同意なき買収」という表現が使われることが増えています。
対象会社の経営陣と買い手が合意し、条件や買収後の方針を協議しながら進めるM&A。
対象会社の経営陣の同意を得ない段階で、買い手が株主に直接提案し、支配権取得を目指すM&A。
先行するTOBに対し、別の買い手がより高い価格や異なる条件で買収提案を行う手法。
通常、上場企業に対する同意なき買収では、TOB、すなわち株式公開買付けの手法が用いられます。 買い手は、一定の買付価格、買付予定数、買付期間を公表し、市場外で不特定多数の株主から株式を買い付けます。
重要なのは、同意なき買収が「経営陣にとって不都合な買収」である一方、「株主にとって不利益な買収」とは限らない点です。 だからこそ、現代のM&Aでは、経営陣の意向だけでなく、株主の利益、企業価値、買収後の成長可能性が問われます。
3. TOBは、どのような形で進められるのか?
TOBとは、Take Over Bidの略で、日本語では株式公開買付けと呼ばれます。 買収希望者が、対象会社の株式について、買付価格、買付予定数、買付期間などを公告し、市場外で株主から株式を買い集める手続きです。
TOB価格は、市場価格に一定のプレミアムを乗せて設定されるのが一般的です。 株主に応募してもらうためには、市場価格より魅力的な価格を提示する必要があるからです。
また、TOB後に少数株主を整理し、意思決定を迅速化するために、完全子会社化や上場廃止が行われる場合もあります。 そのため、一般株主にとってTOBは、保有株式を売却するか、将来のスクイーズアウトを受け入れるかを判断する重要な局面となります。
対抗TOBという新たな現実
近年の日本では、一つの対象会社をめぐって、複数の買い手がTOBを競う対抗TOBも現実に起きています。 代表例が、ベネフィット・ワンをめぐるエムスリーと第一生命ホールディングスの買収合戦です。
エムスリーは2023年11月にベネフィット・ワン株式の過半数を1株1,600円で取得する提案を行いました。 その後、第一生命ホールディングスが対抗TOBを提案し、TOB価格を1株2,173円に引き上げ、最終的に第一生命ホールディングスによるTOBが成立しました。
この事例は、日本でも「先に提案した買い手が有利」とは限らず、より高い価格、より合理的な成長戦略、より強い株主説得力を持つ買い手が勝つ時代に入ったことを示しています。
4. AZ-COM丸和、SGホールディングス、C&Fロジをめぐる買収攻防
日本における同意なき買収の変化を象徴する事例の一つが、AZ-COM丸和ホールディングス、SGホールディングス、C&Fロジホールディングスをめぐる買収攻防です。
AZ-COM丸和ホールディングスは、2024年3月21日、C&Fロジホールディングスに対してTOBを予定していることを公表しました。 これは、協議を進めながらも、対象会社の経営陣が賛同しない場合には、株主に直接提案する姿勢を示したものといえます。
その後、佐川急便を中核とするSGホールディングスが、C&Fロジホールディングスに対して、より高い価格でTOBを行う方針を示しました。 報道によれば、SGホールディングスは1株5,740円でTOBを開始し、C&Fロジ側はSGホールディングス案に賛同しました。 AZ-COM丸和はTOB価格を引き上げない方針を示し、買収を事実上断念する流れとなりました。
このような買収攻防は、日本のM&Aが、従来の相対交渉型から、市場機能を通じて企業価値を問い直す段階へ移行していることを示しています。
5. 同意なき買収のデメリット
同意なき買収には、企業価値向上の可能性がある一方で、明確なデメリットもあります。 特に重要なのは、買収後のPMIが難しくなる点です。
- 対象会社の経営陣や従業員に不安や反発が生じやすい
- キーマンや従業員の離職リスクが高まる
- 顧客・取引先との関係に不透明感が生じる
- TOB価格が高騰し、買収後の投資回収が難しくなる
- 買収後の経営統合に時間とコストがかかる
M&Aは、買収して終わりではありません。 買収後に対象会社の従業員をマネジメントし、顧客関係を維持し、事業を成長させ、旧経営体制を超える企業価値を実現して初めて成功します。
その意味で、同意なき買収は、通常の友好的M&Aよりも、買収後のPMIの難易度が高くなります。 高い価格で買収したにもかかわらず、統合に失敗すれば、買収プレミアムは企業価値の毀損として跳ね返ります。
6. なぜ、買い手は同意なき買収に踏み切るのか
それでは、なぜ買い手は、従業員の反発やPMIの難易度上昇を覚悟してまで、同意なき買収に踏み切るのでしょうか。
多くの場合、買い手は最初から対立を望んでいるわけではありません。 可能であれば、友好的なM&Aとして進めたいと考えます。 それでも同意なき買収に踏み切るのは、対象会社に大きな潜在価値がありながら、現経営陣のもとではその価値が十分に発揮されていないと判断する場合です。
- 現経営陣のもとで資本効率が低く、企業価値が過小評価されている
- 事業ポテンシャルは高いが、成長投資や経営改革が進んでいない
- 株主還元や資本政策に問題があり、株主の不満が高まっている
- 経営陣が第三者の提案を十分に検討せず、現状維持に固執している
- 買い手側に、買収後の明確なシナジーとPMI計画がある
かつて日本では、対象会社の経営陣が反対すれば、買収提案は進みにくい環境にありました。 しかし現在は、企業価値を高める提案であれば、経営陣が反対しても、株主に直接判断を求めることが選択肢になっています。
これは、経営者にとって厳しい時代の到来を意味します。 上場企業であれ、中小企業であれ、企業価値を高める努力を怠り、資本政策を放置すれば、外部から経営支配権を狙われるリスクが高まるのです。
7. 中小企業では同意なき買収が起きない、とは言い切れない
現在、日本で大きく報道される同意なき買収は、主に上場企業を対象とするものです。 非上場の中小企業では、多くの場合、株式に譲渡制限が付されており、上場企業のように市場で株式を買い集めることはできません。
しかし、それだけで中小企業に同意なき買収リスクがないとは言い切れません。 問題になるのは、株主構成が分散している会社、相続によって株式が経営陣の想定外の人に移っている会社、外部株主や投資家が株式を持っている会社です。
譲渡制限会社であっても、株主の議決権が分散し、経営者が安定的な支配権を確保していない場合、株主総会の議決権を通じて経営に影響を与えられる可能性があります。 委任状の取得、役員選任議案、定款変更議案などを通じて、経営権をめぐる争いが生じることは、理論上あり得ます。
なお、非上場会社の同意なき買収や支配権争いは、会社法、定款、株主間契約、株式譲渡承認手続、取締役会設置の有無などによって結論が大きく変わります。 したがって、実務では弁護士・税理士・M&Aアドバイザーを交えた慎重な検討が必要です。
8. 安易な資本政策や放漫経営は、中小企業でも買収リスクを高める
上場企業では、今後、「日本のM&Aは売り手市場で、売り手が買い手を選ぶ」という従来の感覚だけでは通用しなくなります。 株主から見て企業価値を高める提案であれば、経営陣が望まなくても買収提案が現実化する時代です。
そして、非上場企業においても、オーナー経営者が100%の株式を安定的に保有していない場合、同様のリスクは存在します。 同族株主、旧役員、従業員株主、取引先株主、投資家、相続人などが株式を持っている会社では、株式の所在と議決権の把握が経営上の重要課題になります。
相続や名義株、少数株主の存在を放置すると、将来の支配権争いの火種になります。
安易な第三者割当や外部株主の受け入れは、将来の議決権リスクにつながります。
成長投資を怠り、経営効率が低い状態が続けば、外部から改革対象と見られやすくなります。
中小企業経営者にとって重要なのは、同意なき買収を過度に恐れることではありません。 株主構成を整え、資本政策を見直し、企業価値を高め、外部から見ても合理的な経営を行うことです。
これからの時代、M&Aは「会社を売りたい経営者」だけのテーマではありません。 会社を守りたい経営者、会社を伸ばしたい経営者、将来の資本提携を考える経営者にとっても、M&Aと資本政策の理解は不可欠になります。
同意なき買収の時代に、会社を守る最良の方法は、買収を恐れることではありません。
企業価値を高め、資本政策を整え、株主から支持される経営を行うことです。
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