第10講 事業譲渡をする会社はここに気を付けよう ~そのメリットとデメリット~
事業譲渡をする会社は
ここに気を付けよう
日本の中小企業M&Aでは、主に「株式譲渡」と「事業譲渡」という2つの手法が使われます。 株式譲渡は会社そのものの支配権を移す方法であり、事業譲渡は特定の事業、資産、契約、人材を個別に引き継ぐ方法です。
事業譲渡は、簿外債務や不要な事業を切り離せる有効な手法です。 一方で、承継対象の特定、契約の移転、雇用承継、許認可、賃貸借契約、買収後のPMIに大きな注意が必要です。
目次
事業譲渡は、会社全体を引き継ぐ株式譲渡と異なり、特定の事業だけを切り出して売買する手法です。 買い手にとっては、不要な債務やリスクを引き継がず、必要な事業だけを取得できるメリットがあります。
しかし、その反面、事業を構成する資産、契約、債権、従業員、許認可、賃貸借契約を個別に確認し、移転できるものと移転できないものを精査しなければなりません。 つまり、事業譲渡は、見た目以上に難しいM&A手法なのです。
1. M&Aで使われる主な手法は、株式譲渡と事業譲渡
日本の中小企業が行うM&Aでは、主に「株式譲渡」と「事業譲渡」のいずれかの手法が用いられます。
オーナー経営者が保有する株式を買い手に譲渡し、会社の支配権を移転する方法です。 会社の資産・負債・契約・従業員関係は、原則として会社に残ったまま引き継がれます。
会社全体ではなく、特定の事業を構成する資産、契約、債権、在庫、設備、人材などを個別に譲渡する方法です。
売却だけでなく、成長資金の獲得、資本提携、マイナー出資、事業提携を組み合わせるM&Aです。 多くの場合、株式譲渡や出資を中心に設計します。
株式譲渡は、会社の株式を買い手に移すため、会社そのものの支配権が移転します。 手続きとしては比較的分かりやすく、売り手のオーナー経営者が保有株式を売却し、買い手が新たな株主として会社を支配する形になります。
一方、事業譲渡は、会社そのものではなく、特定の事業だけを切り出して売買します。 複数事業を持つ会社のうち、ある事業だけを譲渡したい場合や、買い手が特定事業だけを取得したい場合に使われます。
2. 株式譲渡ではなく、事業譲渡を使う理由
それでは、なぜ株式譲渡ではなく、事業譲渡を選ぶのでしょうか。 事業譲渡には、株式譲渡にはないメリットがあります。
2-1. 事業を選択して引き継ぐことができる
株式譲渡では、買い手は会社そのものを引き継ぎます。 会社の中に複数の事業がある場合、買い手が本当に欲しい事業だけでなく、不要な事業、赤字事業、撤退予定の事業、問題を抱える事業まで含めて引き継ぐことになります。
これに対し、事業譲渡では、譲渡対象を特定できます。 たとえば、飲食事業だけ、EC事業だけ、製造ラインだけ、ブランドだけ、顧客リストだけ、店舗だけを対象にすることが可能です。
売り手側にとっても、会社全体を売るのではなく、一部事業だけを切り出して資金化し、残った事業を継続するという選択ができます。
2-2. 簿外債務や不要なリスクを引き継ぎにくい
M&Aで買い手が最も恐れるリスクの一つが、財務諸表に現れていない簿外債務です。 中小企業では、長年の経営の中で、代表者個人からの借入、親族・知人からの借入、未払金、未払残業代、税務リスク、保証債務などが十分に整理されていないことがあります。
株式譲渡の場合、会社そのものを引き継ぐため、会社に残っている債務や潜在リスクも、原則として会社に残ったまま買い手の支配下に入ります。 そのため、買収後に簿外債務や未払債務が発覚すると、買い手にとって大きな損失になります。
一方、事業譲渡では、承継する資産・契約・債務を個別に特定します。 買い手は、不要な債務やリスクを譲渡対象から外すことができます。 これが、買い手にとって事業譲渡を選ぶ大きな理由です。
3. 事業譲渡で注意すべき実務上のリスク
事業譲渡は、買い手にとってリスクを限定しやすい手法です。 しかし、売り手・買い手の双方にとって、株式譲渡よりも手続きが複雑になる場合があります。
3-1. 「株式譲渡では買えない会社」が、事業譲渡に回ることがある
事業譲渡案件の中には、最初から売り手が事業譲渡を希望していたものだけでなく、買い手やM&Aアドバイザーが「株式譲渡ではリスクが大きい」と判断し、事業譲渡に切り替えた案件があります。
たとえば、簿外債務、労務リスク、税務リスク、契約不備、株主構成の問題、経営者保証、許認可の問題、訴訟リスクなどがある会社では、買い手が株式譲渡を避け、特定の事業だけを譲り受ける形を希望することがあります。
そのため、買い手側は、事業譲渡だから安全だと安易に考えてはいけません。 むしろ、なぜ事業譲渡になっているのかを確認する必要があります。
- なぜ株式譲渡ではなく事業譲渡なのか
- 売り手企業に簿外債務や未払債務がないか
- 労務・税務・許認可・契約不備の問題がないか
- 買い手が本当に必要とする資産・人材・契約が譲渡対象に含まれているか
- 譲渡後に事業を継続できる体制があるか
3-2. 譲渡対象を個別に特定しなければならない
事業譲渡では、会社そのものを買うのではなく、事業を構成する資産や契約を個別に引き継ぎます。 そのため、何を譲渡対象に含めるのかを、契約書で具体的に定める必要があります。
店舗、設備、在庫、什器備品、商標、ドメイン、ウェブサイト、顧客リスト、取引先契約、売掛債権、許認可、従業員、賃貸借契約など、事業を動かすために必要なものを一つずつ確認しなければなりません。
もし重要な資産や契約を譲渡対象から漏らしてしまうと、クロージング後に事業が動かないという事態が起こります。 これが、事業譲渡の最も難しい点です。
4. 買い主が上場企業の場合、事業譲渡には慎重な検討が必要
買い手が上場企業である場合、事業譲渡には特に慎重な検討が必要です。 会社法上、重要な事業譲受けや全部の事業譲受けに該当する場合、株主総会決議が必要になることがあります。
上場会社が株主総会決議を必要とする取引を行う場合、その事実が市場に開示される可能性があります。 M&Aでは、情報管理が極めて重要です。 売り手企業の従業員、取引先、金融機関、競合他社に情報が漏れると、企業価値が毀損する可能性があります。
そのため、上場企業が買い手になる場合には、株式譲渡、会社分割、吸収分割、事業譲渡、資本提携など、どのスキームが最も適切かを、法務・会計・開示・税務・PMIの観点から慎重に検討する必要があります。
5. 雇用承継・不動産賃貸借・許認可は、本当に引き継げるのか
事業譲渡において、買い手側が最も注意すべきことは、譲渡対象事業が本当に継続できるのかという点です。 事業を構成する重要な要素が引き継げなければ、買収しても事業は動きません。
5-1. 雇用承継
事業譲渡では、株式譲渡と異なり、従業員の雇用関係が当然に買い手へ移るわけではありません。 従業員本人の同意、労働条件、退職金、未払賃金、有給休暇、社会保険、就業規則、キーマンの継続勤務意思を確認する必要があります。
特に、売り手企業と従業員の信頼関係が悪化している場合、クロージング後に従業員が一斉退職するリスクがあります。 飲食、介護、製造、IT、専門サービスのように人材依存度が高い事業では、このリスクは極めて重要です。
5-2. 不動産賃貸借契約
店舗、工場、倉庫、事務所を使う事業では、不動産賃貸借契約の承継が重要です。 しかし、賃貸借契約は、貸主の承諾なく当然に買い手へ移転できるとは限りません。
貸主が承諾しない、賃料改定を求める、保証金の積み増しを求める、再契約を拒む、建物の建替えや自己使用を予定している、といった事情がある場合、事業譲渡後に事業継続が困難になります。
5-3. 許認可・取引先契約
事業譲渡では、許認可が当然に移転するとは限りません。 飲食業、介護、旅行業、建設業、人材紹介業、運送業、医療・薬局、金融関連、廃棄物処理、旅館業など、許認可が事業の前提となる業種では、許認可の再取得や承継可否を必ず確認する必要があります。
また、主要取引先との契約にも、譲渡禁止条項、解除条項、承諾条項が入っている場合があります。 主要取引先の同意が得られなければ、譲渡対象事業の売上基盤が失われる可能性があります。
- 従業員は買い手への転籍に同意するのか
- キーマンは譲渡後も残るのか
- 賃貸借契約は貸主の承諾を得られるのか
- 許認可は承継できるのか、再取得が必要なのか
- 主要取引先契約に譲渡禁止条項がないか
- フランチャイズ契約・リース契約・システム契約は移転できるのか
- 譲渡後すぐに営業を継続できる体制があるのか
6. あえて事業譲渡を選ぶなら、DDと契約設計を徹底する
事業譲渡は、株式譲渡に比べて、買い手が不要な債務やリスクを切り離しやすい手法です。 しかし、手続きは煩雑であり、対象会社も慎重に選ぶ必要があります。
売り手側にとっては、事業譲渡を選ぶことで、一部事業だけを売却し、会社を存続させることができます。 一方で、譲渡対象外の債務や従業員、残存事業、税務処理、取引先対応が残ります。
買い手側にとっては、欲しい事業だけを取得できる一方で、譲渡対象の漏れ、契約承継の失敗、従業員の離職、許認可の不備、PMIの混乱が大きなリスクになります。
何を売るのか、何を残すのか、残存債務・従業員・税務・取引先対応をどう整理するのかを確認します。
本当に必要な資産・契約・人材・許認可を取得できるのか、DDで徹底的に確認します。
事業譲渡の経験があるM&Aアドバイザー、弁護士、会計士、社労士、税理士と連携する必要があります。
事業譲渡は、安易に使うべき手法ではありません。 しかし、適切に設計すれば、買い手にとってはリスクを限定しながら必要事業を取得でき、売り手にとっては会社全体を手放さずに一部事業を資金化できる、有効な選択肢になります。
そのためには、デューデリジェンス、譲渡対象リスト、契約承継、従業員承継、許認可、最終契約、クロージング後のPMIを一体で設計することが不可欠です。
事業譲渡は、リスクを切り離せる便利な手法ではありません。
引き継ぐべきものを、一つずつ正確に特定し、確実に承継して初めて機能するM&A手法です。
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