株式会社コージアトリエ 株式会社コージアトリエ・プリュス
父親が創業し、経営してきた、銀座の正当派オートクチュールのブランドの、事業承継に成功。
ブランドを守りながら、新しいマーケットを別会社で立ち上げ、父親の創業した会社の事業承継を、全面的にご支援いただきました。
株式会社コージアトリエ
株式会社コージアトリエ・プリュス
代表取締役社長 渡辺陽子様
支援を受けるきっかけ
私は、両親も卒業した慶應義塾大学を卒業後、大手百貨店の勤務経験をえて、父親が創業し、経営をしている、株式会社コージアトリエに入社しました。
コージアトリエは、私の父である渡辺弘二が創業した、婦人服のオートクチュール・ブランドです。オートクチュールは、かつては、パリの社交界を飾る、上流階層向けのオーダーメイド婦人服を作り続ける、伝統ある業態でした。しかし、昭和から平成に時代が移る中で、オートクチュールのお客様は、高齢化してきており、しかも、若いお客様には受け入れられにくい業態になりつつありました。
かつては、銀座を彩った、多くのオーチクチュールも、ひとつ、またひとつと灯が消えてゆき、今では、コージアトリエが、銀座で唯一の、正当派オートクチュールになってしまいました。
私は、子供のころから、父の背中を見て育ち、そしてまた、私自身も父に似たのでしょうか、デザインという仕事がとても好きでしたので、何とか、コージアトリエのブランドを父から、事業承継し、オートクチュールの灯を守りたいと思い、父とともに、コージアトリエの仕事に、懸命に取り組んでまいりました。
しかし、やはり、時代の流れには、逆らえません。
正統派オートクチュールの、本来の仕事は、減っていきました。そして、一方で、価格を下げた、ハーフオーダーの市場では、有名ブランド企業との競合に巻き込まれ、コージアトリエの強みを、なかなか打ち出すことができないでいました。
父も、そんな状態の中で、打開策を模索していました。そんな中、ご紹介で、株式会社URVプランニングサポーターズの代表取締役 松本先生と副社長である母がめぐり逢い、株式会社コージアトリエの経営顧問を、父が、松本先生にお願いしました。
私は、最初、正直、
「ウチみたいな小さい会社に、外資系を出身された経営コンサルタントのセンセイが、本当に真剣に取り組んでいただけるのだろうか?」
と、内心、懐疑的でした。
株式会社URVプランニングサポーターズでは、コージアトリエを、松本先生が直接、ご指導いただくことになり、コージアトリエの社長である父、副社長である母、そして、取締役の私の3名と、松本先生の定期的なカンファレンスがスタートしました。
松本先生は、コージアトリエの財務から、販売促進、人事、経営戦略、そして、父の「想い」を徹底的にヒアリングと調査を重ねられました。当時、コージアトリエの将来を巡り、父、母、そして私は、各々の立場で、考え方が異なっておりました。
創業から会社を作った、社長である父。
経理や財務、人事を預かる、副社長である母。
会社を継ぐとしたら、何十年先まで考えなければならない私。
立場が違っているので、当然なのですが、各々の考えは纏まらず、各人が自分の想いをいいあっている状態にありました。松本先生は、根気よく、そのそれぞれの想いに耳を傾け、それぞれの立場を理解され、私たちを上手に調整されました。当時は、私たちは、松本先生を通訳のように通して、経営の方針を決めていたような状態でした。
そんな根気のいる仕事を、いつも笑顔で進められる松本先生を、私は次第に信頼できるようになっていきました。
「マザー」ブランドの立ち上げ
一方、私は、仕事とは別の家庭の二児の母親として、子供を幼稚園・小学校の「お受験」を経験しました。その母親の立場から、この「お受験」の際に、お母様が着る服が、とても重要である、ということに気づきました。そして、コージアトリエで、この「お受験」の時の装いを、お母様に提案したらどうかというアイデアを持ちました。
そして、このアイデアをブランドにした「マザー」をコージアトリエで立ち上げ、売上の向上と普及に、当時、取り組んでいました。
この取り組みは、従来のコージアトリエのお客様の層とは別の、新たなお客様を開拓しなければなりません。そういった意味で、私は、コージアトリエの中で、孤独な立場で、このブランドの普及に取り組んでいました。
松本先生は、この私の「マザー」の取り組みを非常に高く評価してくださり、私のマーケティング活動を、様々な形で応援してくださいました。
父に紹介をもらった百貨店でのイベント販売で、売り上げが全くあがらず、落ち込んだ私を、イベント最終日の夜に、酒席に誘っていただき、(私が大好きな)お酒をご馳走になりながら、励ましていただいたこともありました。
外資系コンサルティング会社出身の松本先生の肩書からは想像できないほど、優しく、私にご指導をいただきました。
このようなことの中で、「マザー」は、次第に売り上げをあげていきました。
一方、コージアトリエの将来の経営戦略と、私の事業承継についても、親身に父と私の間を取り持っていただきました。
「ブランド承継」という、新たな形の事業承継へ
ただ、この中で、私が松本先生にご支援をいただきながら出した結論は、コージアトリエのブランドを活かしつつ、父の会社とは別の株式会社を私が設立し、父の会社から出資をしてもらう、という結論でした。
父の育んできたお客様の層と、私の「マザー」のお客様の層は完全に異なり、従って、マーケティングの手法や店舗の展開エリアも、今後は、コージアトリエとは別の方法をとらなければならない、という冷徹な現実を見据えた結果でした。
コージアトリエは、確かに歴史ある企業です。しかし、世の長期的に存続するブランドで、長期的に同じマーケティング戦略を繰り返して存続する企業はありません、と、松本先生は、私にいつも語られました。時代の求めるものに変革をし続けなければ、いかに伝統のある企業も、存続できませんと、松本先生は、非常に厳しく私を導かれました。
コージアトリエ・ブランドを承継し、存続させるには、父がとった方法から、私への、単なる「承継」では駄目ではないか・・・。これが、私が悩んだ末に出した結論です。
こうして、私は、父のブランドを受け継ぎながら、会社組織から商品・マーケティングまで、別の方法を編み出す、「ブランド承継」という、松本先生独自の方法をとらせていただくことに決断しました。
こうして誕生したのが、株式会社コージアトリエ・プリュスです。
会社の創業、在庫の承継、販売現場のオペレーション、財務経理、そして人事労務に至るまで、松本先生から、サラリーマンだった私を経営者として通用するノウハウを、総合的にご教示いただきました。コージアトリエの方法も参考にしながら、私たちは、これを、コージアトリエ・プリュスの方法に進化をさせていきました。
加えて、私が、新たに開店を計画する店舗や、販売サイトの投資のための、設備投資の創業融資の借り入れに関する指導も、事細かく、ご指導いただきました。その結果、私は、コージアトリエから出資いただいた資本金に加えて、銀行融資による資金調達にも成功し、事業の投資のための経営資源を揃えました。
そして、2024年。コージアトリエ・プリュスの創業から5年で、ついに、私は、父の創業した株式会社コージアトリエの代表取締役社長の立場を、父から承継し、コージアトリエブランドのすべてを背負うことになりました。
今、松本先生は、株式会社コージアトリエと、株式会社コージアトリエ・プリュスの2社の経営顧問として、すべての私の経営領域で、ご相談に乗っていただいています。
今後の経営戦略
父の立ち上げたブランドの伝統を、私が新たな時代にあう形で承継し、50年後も、銀座のよき伝統である、コージアトリエが存続することを目指して。
是非、これからも、松本先生をはじめとする、URVグローバルグループの皆さまのお世話になると思います。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
御寄稿 2020年4月
株式会社コージアトリエ代表取締役就任時 2024年9月修正
COMPANY INFORMATION
株式会社コージアトリエ・プリュス
〒104-0061
東京都中央区銀座6-5-1-7F
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