ご挨拶
こんにちは。
僕は、モデル芸能事務所DRISAKU®︎を運営する、株式会社URVテクノインテリジェンスの代表を務めます、松本尚典(よしのり)と申します。
このコンテンツに来ていただいた、貴方(貴女)は、ダイエット法を探して、きっと、ここに辿り着いた方だと思います。
まずは、このコラムを選んで、お読みくださり、ありがとうございます。
最初に書いておきたいのですが、僕が経営するモデル芸能事務所DRISAKU®︎では、モデルさんに過度なダイエットを、一切、お勧めしていません。
モデル芸能事務所DRISAKU®︎は、このコラムを書いている2022年現在、女性のモデルさんだけで構成されています(男性を排除しているわけではありませんが、たまたま、現段階で、そのようになっているというだけです)。女性のモデルさんたちは、当然のことながら、それぞれ、ご自身でダイエットに励まれておられます。
皆さん、撮影のスポットライトを浴び、周囲の人たちに、「美しい!可愛い!素敵!」と絶賛をされながら、仕事をしているので、モデルの仕事をはじめると、日を追うごとに、美しさを増していかれます。そして、自分自身が、もっとその美しさを磨こうと努力をされます。その美しさの一要素として、ボディプロポーションにも、皆さん、最大の配慮をされておられます。
しかしながら、ダイエットによって作り出す美しいボディプロポーションというのは、女性の持つ「美しさ」の一要素でしかないと僕は思っております。
モデル芸能事務所DRISAKU®︎では、モデルさんの外見の美しさとともに、そのモデルさんが持つ個性や特技、更に、内面の美しさがスチールや映像に滲みだすような演出を、自社で制作する力を持っています。そのような、モデルさんの演出を行うため、プロの写真家や、映像制作家、Webデザイナーの皆さんが、総力を結集して、モデルさんの美しさの表現をできる体制を持っている会社です。
ですから、僕は、今の「ダイエットがすべて」的な、モデル業界の傾向には、ちょっと批判的な経営者です。
ですから、このコンテンツでは、決して、過度なダイエットをお勧めは、致しません。
ただ、以前の僕もそうでしたが、体が重くなってくると、健康的にも大きな問題がでてきます。男性の場合、その男性としての機能にも、問題が生じたりもします。そして、見た目も、当然醜くなります。
そんな状態から脱却して、健康的にも、ルックス的にも、そして、男性としての生活的にも充実するため、ダイエットを志すことは、自己実現の一つの手段として、良いことではないかと思っています。
こんな気持ちから、あえて自分の駄目・駄目だった過去をさらけ出すことも含めて、僕の個人のダイエット経験を発信してみたいと思います。
ただ、このコンテンツは、あくまでも、僕個人の経験に基づく、「俺のダイエット」に過ぎません。僕自身、主治医の医師や、顧問の栄養士と相談しながら、ダイエットを進めましたので、健康的に問題があるような方法ではないと思います。
この方法で、ダイエットが出来たのは、あくまで僕の個人の経験に基づくものであって、普遍的な方法かどうかは、保障はできませんので悪しからず。
モデル芸能事務所の経営者の僕が、体重を20kg落とした「俺のダイエット」目次
ダイエット開始の「ビフォア」
僕は、中央大学法学部法律学科を卒業後、現在は、3大メガバンクに合併した大手銀行に就職し、その銀行系列のシンクタンクに配属されました。銀行マンではなく、銀行の系列の大企業に対する経営コンサルティングや、銀行が融資をする資産家の個人に対する不動産コンサルティングなどの業務を行う仕事につきました。
僕が就職をしたのは、90年代のはじめ。
日本は、バブル経済の崩壊がはじまった頃の時代で、銀行は、今のような残業を規制される状態にはなく、「無限のサービス残業が当たり前」という時代でした。僕は、その激務と並行して、英語や経営・不動産などの猛勉強を続けておりました。そして、就職から三年後、銀行の制度を利用して、アメリカの経営大学院に、社費留学をします。大学院を卒業し、無事、MBAの学位を取得した後、僕は日本の元の銀行に帰る道をすてて、ニューヨークの、巨大な金融系コンサルティングファームと契約し、ウォール街で、仕事に入りました。
この過程の生活で、僕は、大学卒業から、大幅に体重を増やし、身体を蝕んでしまいました。
激務と、それに加えた猛勉強を続ける日々。
その、強いストレスや不規則な生活が続く中で、平日・土日を問わずに、ぶっ通しで働き、勉強を続けました。労働や勉強の総時間は、一日20時間に限りなく近づき、数か月の間、実質的に休みがゼロという生活が続きました。
その中における、当時の僕の食生活は、完全に破綻していたと思います。
- 朝食は、抜き。
- 昼は、仕事をしながら、コンビニ弁当と、カップ麺。
- 夜は、オフィスに運んでくれるデリバリーピザと、オールドコーク。
- そして、徹夜明けに、次の朝は、焼肉を食べるなど。
最初に身体に異変を自覚したのは、29歳の時でした。
ニューヨークのアッパーイーストサイドのコンドミニアムで、ある朝、目覚め、ベッドから床に脚をついた瞬間、僕の足に激痛が走りました。瞬間的に、足が寝ている間に折れたかと思いました。
ニューヨークのタクシーであるイエローキャブに辛うじて乗り込み、病院に行き、足の骨に異常がないことが確認されました。
ドクターから言われた診断結果は、ventilation (痛風)。
そう、この激痛は、まさに、風が吹いても痛いと日本で言われる、痛風でした。
脚の激痛は、定期的に僕を襲うようになり、その激痛が発生する間隔が、次第に短縮されてくるのが、自分でもわかりました。
それでも、若かった僕の生活は、変わりませんでした。
僕がニューヨークで仕事をはじめた、1990年代から、2000年代はじめまで。
世界は、冷戦が終結し、アメリカは、その後、勃発するITバブルの前哨戦の時代がはじまっていました。世界中の企業や資産家、そして、ホットマネーが、ウオール街に集まっていました。金融工学を駆使した、マネーゲームや、その利益に対する租税回避テクニックのコンサルティングのため、僕は、ニューヨークを起点に、世界中のクライアント企業の間を、飛び回り続けていました。
世界のどこの地域に行っても、クライアント企業の経営者や、資産家から、その土地ならではの接待を受け、各地の公認会計士との交際などが、連日続いていました。
そんな中、僕の病状は、2005年あたりには、いくところまで、行ってしまいました。
大学生の時に、50kg台だった体重は、ついに、2005年に94kgまで達しました。
痛風に加え、高血圧・高脂血症・糖尿と、成人病のカタログのように、病気が並んでしまいました。そして、太りすぎた僕は、夜に、重度の無呼吸症候群を発症しました。
計測された数値をみて、僕は、自分が夜中に、ほとんど呼吸ができていなことを知りました。毎晩、苦しみ、悪夢にうなされるようになったのです。
ついに、僕は、「これは、やばい」と自覚をしました。
どんなに、カネを稼いでも、このままでは、俺は、死ぬ・・・。
そう、感じました。
この酷い状態が、僕の、ダイエットのビフォアの状態です。
ついに、体重を20kg落とした「俺のダイエット」開始!
こんな状態を認識して、何とかしなければ、と考えた僕は、ダイエットをスタートすることにしました。
ただ、巷に溢れる、怪しいダイエット法で、身体を痛めたのでは意味がありません。
そこで、成人病専門医の主治医と、管理栄養士のコンサルタントを契約し、健康的に痩せてゆく方法の指導を受けて、ダイエットを行うことにしました。
主治医には、毎月、僕専用の健康診断メニューを作成してもらい、体重や体脂肪率だけでなく、50項目を超えるデーターを、毎月測定し続けて貰うことにしました。そして、管理栄養士には、僕の激務やストレス、人との交際や出張などの生活を理解してもらい、その生活と両立できる、食事の内容のレシピを作ってもらいました。
僕の生活は、非常に高いプレッシャーの中で、仕事とそれに伴う世界中への飛行機の移動を伴います。
ダイエットをはじめたからといって、極端に摂取カロリーを下げて、体力が減退してしまったり、あるいは、出張生活で調理ができない料理を提案されるなど、非現実的なダイエット方法では、続きません。
その中で、実現が不可能な、僕のオリジナルな方法を、専門家に編み出してもらいました。
「俺のダイエット」ステップ1:最初の指導は、意外なことに「塩分」から
僕は、当初、ニューヨークでの自分の生活の中で、一番、大きな問題は、デリバリーのピザや、でかいハンバーガーなど、アメリカ人たちが好んで食べる高脂肪食品を辞める、ということを指導されると思っていました。
しかし、最初に、僕の生活と食事をヒアリングして管理栄養士から受けた指導は、意外にも、このような食事ではなく、「塩分」でした。
今の食生活の中の最優先改善課題は、塩分の削減と指導されました。
塩分が多すぎ、その結果、水分の接種が多すぎ、それによって、身体にむくみがでている。これを、まず改善すると専門家は言うのです。
確かに、これだけで数キロ、体重は落ちました。
「俺のダイエット」ステップ2:ウォーキングの効用
そして、定期的な運動のスタートを指示されました。
一日の目安は、1時間のウォーキング。
アメリカのニューヨーカーが大好きな、フィットネスで行う運動でなく、僕のコンドミニアムから歩いていける、セントラルパークを、早朝、時間を決めて、毎日歩く、という散歩をスタートしました。
運動というのは、決して、ダイエットに直結するものではありません。運動で、体重を落とすほどのハードな運動は、当時の僕にとって、有害だと医師は、僕に指摘しました。
運動の効果は、身体全体にバランスよく、筋肉を維持させることだと医師は言います。
筋肉がバランスよくある身体は、基礎代謝があがり、太りにくい体質を作り、しかも、ウォーキングの効果は、精神面やストレス解消、そして、頭脳の活性化など、効果は計り知れないと、医師はいうのです。
フィットネスに通って、閉鎖された空間で行う無機質な運動ではなく、セントラルパークやニューヨークの摩天楼を、朝、眺めながら行うウォーキングは、僕のストレス過多な生活や、超がつくほどの、過酷な頭脳労働者の僕には、最適だと指摘されました。
このウォーキングは、2007年に僕が日本に帰国し、現在の至るまで、継続しています。
現代の世界では、肥満は貧困の象徴。食の貧困からの脱出をする!
日本人の間では、いまだに、根強く、肥満は贅沢からくるものという意識があるように思います。
「美味しいものを、ついつい食べちゃうんです。」
これが、痩せられないヒトの常套句です。
しかし、これは、かなり古い考え方です。
人類の歴史というのは、飢餓の歴史です。日本人の庶民が、一日三食を、当然のように食べられるようになったのは、太平洋戦争後のことです。それまでの、日本人の庶民は、栄養不足状態にありました。その時代では、肥満していることは、贅沢の象徴でした。
ヨーロッパでも、ルネサンスの絵画や豊満な女性を好んで描いていることからもわかる通り、豊かな身体は、富と贅沢の象徴だったのです。
しかし、現代の世界、とりわけアメリカでは、肥満は、貧困の象徴です。
ニューヨークでは、肥満しているヒト(これは、僕のように、90kg台というレベルではなく、120kgというような、かなり重度の肥満の意味です)は、責任ある仕事には就けません。
アメリカでは、貧しいヒトは、今、ハンバーガーやピザに代表されるファーストフードを常食し、どんどん、肥満をしてゆくのです。
一方、豊かなヒトは、アメリカでは、ファーストフードを食べません。もっと、質の高い、高栄養で低カロリーのものを食べ、健康的な生活をします。
アメリカ人の女性が、ダイエットに励む意識は、日本人の若い女性のそれと、少々異なります。アメリカ人の白人女性は、富と豊かさにあこがれて、ダイエットに励むのです。
太っていることは、醜く、貧しく、自己管理能力が欠如している、という目で、アメリカや、ヨーロッパ社会ではみられます。
日本の銀行で激務を続け、アメリカの大学院で猛勉強に励んでいた僕は、貧しい生活習慣が抜け切れず、ニューヨークのコンサルティングファームに入って、収入が急増しても、貧しい食生活を続けてしまっていたのです。
そして、僕は、いつのまにか、アメリカのエリート社会では、最も軽蔑される自己管理能力が欠如した、「ダサい」奴、の仲間入りをしてしまっていたのです。
これは、いかん!
そう、僕は、思いました。
激務をこなし、世界中を飛び回り、高い報酬を稼いでいても、僕は、非常に貧しい生活をしている、ダサい漢だったのです。
人間には、バランス感覚が必要です。
仕事馬鹿、勉強エリート馬鹿では、よくありません。
バランスのとれた生活を目指す、その第一歩として、食の貧困状態を改善しよう、と僕は、決めました。
「俺のダイエット」ステップ3:高カロリー・低栄養から、低カロリー・高栄養へ
僕は、今でも、日本にいて、時々、ニューヨ-クで常食していた、巨大なハンバーガーが無性に食べたくなります。
日本人は、ハンバーガーをかぶりついて食べるものと思っていますが、ニューヨークでは、ハンバーガーというものは、ビールを飲みながら、ナイフとフォークで食べるものです。
このようなニューヨークのハンバーガーを、僕は、今でも懐かしく思い出します。
しかしながら、このようなジャンクフードは、決して、豊かなニューヨークの食習慣ではありません。
美食の伝統がないと言われるイギリスとアメリカですが、イギリスは19世紀のビクトリア時代に、そしてアメリカは20世紀をとおして、世界最大の経済大国でしたので、おカネさえ出せば、そこでは、世界の素晴らしい食を堪能できる店が集まっています。
そこで、僕は、日本の銀行時代からの自分の「貧しい食生活習慣」を改める決意をしました。
おりしも、僕の立場も、シニアコンサルタントまで高まり、僕にも、マンハッタンの摩天楼の中の超高層ビルに、個室の執務室が与えられ、美しい専属秘書と部下のコンサルタントを使う立場になってきました。机にかじりついて、仕事をしながら、デリバリーのピザを、オールドコークで流し込まなければならない状態ではなくなりました。
夕食を、クライアントの企業のお客様と食べたり、ウオール街の投資家たちのパーティに出席することが増えてきました。
食をゆっくりと、選べる立場に変わって来たのです。
そこで、安価な高カロリー・低栄養の食事を生活から排除することにしました。かわりに、高くても、低カロリー・高栄養で、産地がしっかりしている食材を使って調理をされている食事に変更をしたのです。
ダイエット法の落とし穴
アメリカも日本と同様に、たくさんのダイエット法の情報が溢れています。しかし、医師と相談をしてみると、その殆どは、一時的にはダイエット効果が出ますが、リバウンドが激しい手法だとわかりました。
僕の主治医は、非常に科学的な知見を有する優秀な医師でした。
彼は、僕にこう、言うのです。
「人間という生き物は、450万年前に猿から進化して以来、飢餓に苦しみ続けてきた。それ故に、人間の身体は、ダイエットという人工的な飢餓状態を作ると、生命の維持をするため、身体に入ってきたエネルギーを、身体に脂肪として蓄えるように反応するように出来ている。従って、ダイエットをすると、却って、人間の身体は、脂肪を蓄えやすくなってしまう。その結果、リバウンドが起き、それを繰り返すと、次第に痩せにくい身体になっていってしまう。人間は、生命を維持するため、痩せないようにできているのだ。」
僕は、医師の意見に従って、世にいうダイエット法をとらないことにしました。そして、体重を急速に落とすのではなく、体重をゆっくり下げて、しかも、下がった体重がリバウンドを起こさないことを最重要な課題と位置づけました。
そのためには、自分にとって、一時的にしか続けられない無理な方法をとってはならないことに決めました。
酒を一切やめる、とか、糖質を一切とらないとか、この手の類の方法は、僕にとっては、一生続けることはできない方法です。そのため、そのような方法を使っても、必ず、リバウンドを起こしてしまい、その結果、身体は、どんどん、痩せにくくなってしまいます。
僕にとって、一生続けられることというのは、
- 毎日、無理なくウオーキングを継続する
- 高カロリー・低栄養のジャンクフードを食べない
- 高栄養・低カロリーの上質な食事を楽しむ
この3つのポイントだったのです。
2007年、日本へ帰国
リーマンショックの前年。
ウオール街の変調を肌で感じていた僕は、契約していたコンサルティングファームとの契約を打ち切り、日本に帰国し、日本をホームグラウンドにして、自分が所有する企業の創業に向けて、動きはじめました。
この時点で、僕の体重は、ピーク時であった2005年時点での体重94kgから、86kgまで、減量しておりました。2年間で、8kg減量したわけです。
日本での人脈基盤が薄くなっていた僕は、即、独立起業を行わずに、大手上場企業の取締役に迎えていただける企業に入りました。外資系コンサルティングファームでの経験を活かし、大企業の新規事業の開発をしたり、M&Aで企業を買ったり、コンサルティング事業部門の創業など、面白い業務を行いながら、独立の準備を進めました。
そして、2015年に、第一段階として、父親を代表取締役として、株式会社URVプランニングサポ-ターズを設立。副業で、会社経営に乗り出し、2017年にすべての大企業の取締役を退任して、URVグロ-バルグループの経営に集中する体制をとりました。
日本での規則正しい生活の開始
さて、日本に帰ってくると、アメリカの外資系コンサルティング会社で、昼も夜も突貫で激務を続けていた僕の生活は、ぐっと、楽になりました。
大企業の部長や取締役として迎えられて、数社を渡り歩いたのちに、自分が投資する企業をグループにして経営をはじめた僕は、自分の仕事や生活のスタイルを、完全に自分で決めることができるようになりました。
僕は、自分の一日を、健康の代名詞ともいえる、「早寝早起型」の生活にしました。
アメリカ合衆国の東部エリアや、欧州ともテレワークで繋がっている僕の仕事は、欧米の昼間の時間である、日本時間の朝4時がスタートという生活習慣に変わりました。
僕の典型的な生活時間
●早朝4時から欧米とのテレビ会議や、集中して作成する企画書などの制作、自分の勉強などを開始。
●朝5時から朝食。
●午前中は、URVグローバルグループの不動産総合事業の業務に集中する時間。その合間に、不動産総合事業の拠点である、大手町や京橋・日本橋エリアを、ウオーキング。
●午前11時過ぎには、早めの昼食。
●午後は、経営支援事業やマーケティング支援事業、海外進出支援事業・貿易事業などの業務や、カンファレンスに集中。
●夜は、17時から、飲食六次化事業や、貿易商社事業に集中。
夕食は、様々な方との交際での食事や酒席をするも、20時までには終わらせて帰宅。
●その後は、ゆったりとした入浴と読書や勉強をしながら、22時には就寝する。
土日や祭日、年末年始も、一切休みをとらずに仕事や勉強を続ける僕は、このような生活が崩れることは、出張や視察旅行の時を除いてはありません。
そのため、非常に規則正しい生活が、僕の習慣になりました。
健康や体重の管理にとって、この規則正しい生活というのは、絶対に必要な条件だと僕は思っています。
そして、人間の人生にとっての幸福の条件という観点でも、この規則正しい生活を、自らの意思で選択できる自由というのが、不可欠ではないかと思っております。
僕は、URVグローバルグループの5つの経営理念の第4番目に、次の理念を掲げています。
「URVグローバルグループは、世界各国に存する、高い能力を有する自立する個や企業とのパートナーシップを結び、その有機的な結合に基づく組織の発展を重視する。」
URVグローバルグループ 経営理念
URV Global Groupは、次の5つの経営理念に共感し、共有する企業集団です。
詳しくはこちら
僕の作る組織は、他者や国家に依存する愚衆を廃し、自己の責任と能力で自立することが可能な個だけのチカラを結集し、かつ、その個が、その強みを最も高めあう形で、有機的に連携をするためのネットワーク型組織である、というのが、僕の経営信条の一つです。
そのため、URVグローバルグループは、世界各国に人員を配置し、そのネットワークで繋がるかわりに、オフィスにかける経費を最大限に圧縮し、各位は、コロナ禍がはじまるはるか前から、テレワークによる業務を行い、かつそれを自己責任で行えるヒトしか、グループには、一切入れない、という強い決意のもとで組織を構築してきました。
そのため、URVグローバルグループで働く社員や、スタッフ、パートナーたちは、全員が、自分の生活をセルフコントロールできるようになっています。テレワークやグループウエアーを駆使して、どこにいても各位が仕事ができる体制と、その仕事を自己管理する能力のある人材だけで組織を構成しているため、仕事に無駄がなく、全員が極めて高い生産性を発揮し、その結果、努力と成果次第で、外資系企業並みの報酬を受けることができるのが、URVグローバルグループの組織の仕組みです。
このような働き方をすることは、ダイエットや健康管理に最適で、しかも、それを継続的に行うことが可能となります。
僕が、組織を所有しているオーナー社長だから、規則正しい健康的な生活ができるのではなく、それができる能力と、組織の選択をすれば、誰でも、このような生活は実現できると僕は思っています。
規則正しい健康的な生活は、高い生産性と高い報酬を生み出し、そして、結果的に、人の生きる幸福につながると僕は思っています。ダイエットは、そのための、手段だと思います。
ヒトとの交際と、食事
さて、アメリカ時代から、僕は、低カロリー・高栄養のものを食べるように心がけてきたと、前に書きました。
僕も、日本では、いくつもの国内外の会社で構成する企業グループを経営し、その展開する事業も、10の領域にのぼっています。そのため、食事をしながら、ヒトと交際したり、お酒を呑みにいくことも多いわけです。
僕は、飲食事業も展開しており、食べること、お酒を呑みに行くことも大好きです。企業の経営者の方々との交際、資産家の方々への接待、飲食業関係の方とのお付き合いやヘッドハンティング、そして、エンターテイメント事業の中で経営するモデル芸能事務所のモデルさんたちを連れての食事など。一般の方よりも、外食は非常に多いわけです。
交際で外食をする際、ダイエットの観点で、非常に重要なことがあります。
それは、店の選択権を自分が握り、居酒屋などの、高カロリー・低栄養の食を提供する店では、断じて食事をしないことです。
まず、僕の場合、他人との食事では必ず自分が料金を支払う立場です。
お客様との会食は勿論、業界情報を持つような方との情報交換、そして部下との打ち合わせを兼ねた会食、そして、美しいモデルさんを連れて食事やお酒を呑みに行くなど、すべて、僕が料金を支払う立場に立ちます。
そこで、必ず、店の選択権は、僕が握っています。これが重要です。
安い居酒屋などで、戯れるような人間関係に、僕は、自分の重要な時間を一切使いません。割り勘でいくような相手とは、僕は、付き合わないようにしています。
自分がすべての支払いをしても、食事やお酒をご一緒したいような、自分のとって大切な相手。そういう相手にしか、僕は交際の時間を使わないという、強い信念を持っています。
飲食業を経営するとよくわかるのですが、居酒屋などの大衆飲食店の食というのは、極めて、ジャンクなフードです。酒を呑ませるために、塩分を非常に多く使用し、素材は、原価を安くおさえるために、格安で質が悪く、その製造加工も劣悪な製造を平気で行うような企業のモノが多いのです。そして、使用する調味料なども、化学調味料を中心に味付けを行っています。
このような料理を、それこそ、「メガ盛り」などで、仲間とともに、食べるようなことをしていれば、どんなに身体の強い若者も、身体を蝕まれ、体重は増えます。
まさに、僕の若い頃の生活習慣と同じです。
今は、僕は、素材にこだわり、しっかりと調理を管理する、知り合いのシェフが経営する店や、会員だけしか入れないレストランなど、信頼できる店を選んで、ヒトをご招待します。
そして、基本的には、フルコースを食べるようにしています。
フルコースというのは、コース全体に食材が多彩に利用されており、しかも、時間をかけて食べているので、ヒトとの会話も弾み、量を食べすぎることがありません。
低カロリーで、高栄養な食で、信頼できるシャフが作った料理の店を選択し、それをコ-スで楽しむようにしています。
そして、このような店にヒトをご案内しますと、誰もが、僕を「成功している経営者」として認めて、その後の人間関係やビジネスの関係は、非常に好転します。
そして、このような食事は、ダイエットにも無理なく貢献してくれます。
体重は20kg減の、70kg前半をキープ
僕は、日本への帰国後も、信頼できる成人病を専門とする内科医を主治医とし、毎月、人間ドックを行い続けています。
同時に、成人病の結果、起きるリスクのある病気に備え、眼科医(糖尿病性白内障の発病)・脳外科医(脳内血管のリスク防止)・歯科医(糖尿病性の歯科疾患と、クリーンング)の専門科主治医と、内科医のネットワークを作っていただき、各専門医が、僕の身体が、長期的な仕事に耐えるように、管理を続けている体制を作りました。
日本の場合、健康保険制度と、所得税の医療費控除があるために、これだけの体制を作っても、医療費コストは、比較的、安価です。これが、アメリカと異なる、日本のすばらしさです。
アメリカで、2005年に94kgの最悪な状態に到達した僕の体重は、2019年には、その20kg減の、74kgを割り込みました。14年間かけて、ゆっくりと、20kgの体重を落としました。
その後、現在の2022年まで、75kgを超えるリバウンドを起こしたことはありません。
ダイエットの結果
2022年現在、僕は、54歳です。
主治医からは、「20・30代・40代のすべてを通して、今、50代前半の松本さんは、最も健康な状態の身体にあります。」とお墨付きをいただいています。
DRISAKUの若い女性モデルたちからも、僕が、54歳というと、驚かれます。
「松本さん。全然、50歳のおじさんに見えません。30代か、いっていても、40代にしかみえません。」
こう、よく、言われます。
内科的な人間ドックの数値でも、すべての項目で、ほぼ、正常値がでています。
単に、20kgのダイエットに成功しただけでなく、健康的にも、現在と未来に向けて、最も、仕事に力が発揮できる状態に、身体を維持し続けています。
人生の目標「2050年まで、事業に取り組む」
今、僕は、大学を卒業してから、30年を超えました。
日本の銀行からスタートし、アメリカの大学院を出て、ニューヨークのウオール街で働き、日本の大企業の経営を経験して、自分の事業を立ち上げ、会社と事業を自由に成長させる・・・。
僕は、この間、多くの経験と知見を吸収し、その中で生じた体重の激増や成人病を克服して、今、充実した仕事に取り組んでいます。
同窓会などで出会う、同じ54歳の男女たちには、一様に疲れて、現役の終わりを自分でカウントダウンしているような方々が多く見受けられます。
しかし、企業グループのオーナー社長である僕にとって、身体と頭脳と気力が維持できれば、定年やリタイヤーなどありません。
僕は、今、取り戻した健康と、ダイエットした身体をもとに、2050年までを想定した、長期的な視点に立った、グループの経営計画を基に、今、仕事をしています。
2050年には、僕は、勿論、80歳を超えますが、そこまでを想定して、自分の身体と頭脳と気力を、仕事が継続できるレベルに保つこと。これが、僕の健康管理と、その中におけるダイエットの目標です。
ダイエットとは、決して、流行りの方法に飛びついて、減量とリバウンドを繰り返すことではありません。
人間の身体の医学的な仕組みを基礎に、継続的で、遂行可能な科学的な方法で行う、健康と、幸福をえるための方法論だと思います。
是非、皆さんの参考にしてください。
松本 尚典
Yoshinori Matsumoto
- URVグローバルグループ
最高経営責任者 兼 CEO - 株式会社URVプランニングサポーターズ
代表取締役社長 兼 香港支店支店長 兼 エグゼクティブコンサルタント - 株式会社URVテクノインテリジェンス
代表取締役 兼 エグゼクティブプロデューサー - URV Global Mission Singapore PTE.LTD
General Trading Division Director - 一般社団法人コネクトライフエイド
理事